この人に聞く

「そんなものが日本で売れるはずがない」からのスタート

簡易に使える防毒・防煙マスクを開発

火災災発生時、一酸化炭素ガスをはじめシアン化水素など強力な毒性のガスから身を守る防毒・防煙マスクを開発したレスキュープラス。最大の特長は、一般の人でもいざという時、簡単に身に着けられるというもの。開発の経緯をCEOの熊谷仁氏に聞いた。

「商品開発のきっかけは1972年にアメリカで制作された映画タワーリングインフェルノ」と熊谷氏は語る。高層ビルでの火災を描いたこの映画を受け、サンフランシスコ市の消防局は世界各国から火災から人命を守るための技術をかき集めた。1980年代にはロサンゼルスのビルで実際に大規模火災があり、多くの人が一酸化炭素等の有毒ガスによる中毒で命を落とした。そこで、小型で高品質、安価なモノづくりが得意な日本に対し「有毒ガスから人命を守る製品」の注文が入り、国内の大手商社や化学メーカーらが集まり簡易に使える防毒・防煙マスクを開発するプロジェクトがスタートした。その中で白羽の矢が立ったのがレスキュープラスの前身にあたる㈱クマガヤだった。

耐熱素材を縫い目なく裁縫する技術

「父の会社でしたが、当時、玩具のダッコちゃんを製造していて、ビニール素材を縫合する高周波ウェルダーという技術を持っていました。マスクのフード部分は、有毒ガスが入り込まないよう耐熱素材を縫い目なく裁縫することが求められます。それを解決できるのは高周波ウェルダーで、何回もの試行の結果、耐熱素材をまったく隙間なく縫い合わせた耐熱フードが完成しまた」(熊谷氏)。加えて、呼吸保護具には、一酸化炭素を無毒化する触媒や、その他の化学物質を吸着除去するフィルターなどを組み合わせ、持ちやすく、装着も簡単な角丸長方形のマスクが誕生した。

円高でアメリカからの注文が止まった

実は、当時、国内でも火災の有毒ガスから呼吸を守ることを謳ったマスクは存在していた。が、ほとんどが冷蔵庫の脱臭に使われる活性炭を詰めたような商品で、一酸化炭素はおろか、シアンや硫化水素などが除去できるような代物ではなかった。そんな中、国内では火災避難用保護具の規格ができ(現在は一般財団法人日本消防設備安全センターが評定)、同社では、いち早く認定を取得した。

ただ、すべてが順風満帆だったわけではない。開発当初はアメリカが大量に同社の製品を購入していたが、急激な円高によりアメリカからの注文が止まった。国内では「そんなものが日本で売れるはずがない」と揶揄された。

後を絶たない一酸化炭素中毒

開発から30年以上の年月が経ち、スモークブロックを導入する企業は増えている。一方で、焼死ではなく一酸化炭素中毒で多くの命が奪われる事故も相次いで発生している。「もしもマスクを装着していれば30分間は行動ができる。京アニの事件なら屋上で扉を開けることができたかもしれないし、大阪新地の火災なら消防が駆けつけるまで命を守ることができたかもしれない」と熊谷氏は悔し気に話す。

プロフィール

1989年から災害対策コンサル業務を開始。主に自衛消防隊の教育訓練を得意とし、発災後時系列による対応の優先順位付けや、BCPを円滑にスタートさせるための初動対応(ダメージコントロール)といった考え方を提唱。現在の災害対策のスタンダードとなっている。1995年から消防団員として災害現場へ多数出場。

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